暗号通貨の聖地とされていた東京高円寺「MONA BAR」が唐突に、閉店のお知らせを告げた。
衝撃だったのは、その閉店理由である。
モナバー東京 撤退のお知らせ
昨年より長期間、当店への執拗な営業妨害、脅迫行為が続いており、苦しみ悩んできましたが、これ以上の経営継続は危険と判断し本日をもってモナバー東京を撤退することと致しました。
この様な形でのお別れは本当に悲しく、涙が止まりません…。
— モナバー東京 (@MONABAR_TOKYO) 2019年4月7日
公式twitterによると”執拗な営業妨害、強迫行為を受けていた”とのことです。
ただでさえ経営が難しいと言われている飲食業で、暗号通貨の実利用という価値を世の中に提供し続け、ここでしか食べられないようなメニューを考案したりするなど、飲食経営としてもすごく巧みにやっているイメージがあったので、このままずっと続いていくのかなと勝手に思い込んでいたので、このような形で突然撤退することになったことに驚きました。
暗号通貨で話題になったお店の閉店相次ぐ
暗号通貨の飲食店といえば2017年11月世界初のICOによる飲食店として話題になった『サンタルヌー』は東京赤坂にオープンしたが、2018年10月7日に閉店を迎えた。
サンタルヌー閉店しましたー!
長い間のご愛顧ありがとうございました!
とりあえず再開は未定ですが、物件探してますし、ベルギービール専門店でなくても飲食店はやりますので、その際はこのアカウントで報告させていただきます。
とりあえず一旦ありがとうございましたー!
— ヨースケさん@今池燻製カレー・元サンタルヌー (@StArnouldnagoya) 2018年10月8日
渋谷の暗号通貨の聖地 NEM BAR も、移転のため2018年9月2日に一度クローズし、移転先を探していましたが、2019年2月28日に撤退が決まりました。
web関連ページも順次コンテンツをクローズし、閉鎖とさせて頂きます。
久しぶりのご挨拶がこのような形となってしまい大変心苦しいですが、何卒ご容赦賜れますようお願い致します。
休止期間中も応援を頂きましたこと、深謝申し上げます。
— nem bar (@nembar_tokyo) 2019年2月28日
このように暗号通貨関連の飲食店が続々と閉店している話を聞くと、結局暗号通貨って廃れちゃったんだね、と思う人もいるかもしれません。それは認識違いです。
2017年12月08日、Bitcoinが200万円を超えるなど界隈は騒然となり、今まで”暗号通貨”と聞くだけで、「はい、はい、君はまたそういうのに手を出して」みたいに私をバカにしてきた人たちも、急に連絡をとってきたり、うんざりしたのを覚えている。
そういった人たちまでを巻き込む、いわばブームのようなものに暗号通貨がなってしまった。実際のところ、全く今まで投資に興味がなかった若い人たちまで電車内でコインチェックのアプリでチャートを眺めている様子を目撃した時には、あぁこれはブームなんだなと思った。
(これは、ツールさえ整っていて、それで儲かる聞くと、人々は今までやったことがないことにも簡単に手を出すということであり、発見だったし、狂気であった。)
今は値を下げて、ある種、平穏を取り戻し、より一層ブロックチェーン技術革新が密かに進んでいる気配があります。今まで手を出せなかったいわゆる大手などの参入の話もたくさん耳に入るようになりました。今後も暗号通貨を使った様々なプロダクトが続々と出てくることでしょう。
そもそも飲食店経営は厳しい
聞いたことがある人も多いと思いますが、新規オープンした飲食店の半分が2年以内に閉店するという統計データがあります。
個人経営の飲食店は、労働集約型のビジネスモデルで、労働力にとても依存している。労働力がそのまま売上に直結し、店を開けなければ客は来ないし、売上もない。売上を上げるには、できるだけ長く営業し、お客の回転率を上げるしかない。人気店になったとしても、ずっと働き続ければ死んでしまうし、賃金のコストの割合も高い。ブランドや差別化しない限り、この労働集約型ビジネスは限界がある。
先にあげた店舗の閉店の理由がそういうところにあるのかはわかりませんが、そもそも飲食経営は難しいということも暗号通貨関連のお店が閉店してしまう理由のひとつにはあると思う。(その他価格変動リスクなどの話もあると思うが、ここでは割愛)
誰が日本を殺すのか
暗号通貨決済の導入は、全国各地で広がりを見せている。
単なる決済手段の拡充として導入するお店もあるし、それ自体何も悪いことではない。
しかしながら、まだ法整備もされず、不安定な業界ながら、暗号通貨のお店をやる人たちは、少なからず強い思想や志をもっていることも多い。例えば、これはCOINSというお店が閉店のお知らせである。
平素よりCOINSをご利用いただきまして
誠にありがとうございます。突然ではございますが、
10月31日㈬の営業を持ちまして
「COINS」を一時閉店・休業とさせて頂きます。暗号通貨・仮想通貨をコンセプトに、
今年5月より約半年間の短い期間でしたが、
多数のお客様に支えられ毎日充実した営業を迎える事が出来ました。
皆様にはとても感謝しております。
閉店に至った理由としましてですが、
「まだ時ではない。」
この一言に尽きるのかなと思います・・・ブロックチェーンという技術自体がまだまだ浸透していない世の中で
仮想通貨という物への関心も低く、時期早々だったのかという思いと、
ホルダー間で繋ぐ仮想通貨コミュニティの提供に限界を感じ、
一時閉店・休業という形を取らせて頂く事となりました。しかし私はまだ諦めていません!
いつかまた近いうち、仮想通貨という物が認められ、
誰もが気軽にブロックチェーンを利用する日が来たその暁には!
改めてCOINSを復活させ、また皆様と語り合える場を作りたいと考えています。我がCOINSは永久に不滅です。
またお会いできるその日まで「I’ll be back」
待って頂けることを願っています。最後にはなりましたが、
今までCOINSへご来店して頂いた皆様、
並びにTwitterなどのSNS上で応援して頂いた皆様に
多大なる感謝と共にご挨拶とさせて頂きます。本当に皆様ありがとうございました。
このお店は閉店してしまいましたが、この文面からは、「ブロックチェーンの活用を創造していこう」という思想を感じます。こういったお店の閉店ニュースは実に悲しい。
いまだ、どう活用するのが正解なのか、何が新しい日常になるのか、この技術革新に色々人が手探りな中、このように、お金に近い価値を実体験として提供しようと挑戦的に試みるお店というのは、なんとも心強く、こういう実験的な試みを続ける中で、失敗も繰り返すなかで、新しい何かが生まれると思います。
最近は、なんとなく日本に未来はないと感じている人も多く、なんとなく閉塞感が漂う今の日本で、こいうった挑戦的な活動は、とても喜ばしく、日本に期待を持たらせてくれていたし、暗号通貨に興味がある人の集う場という役割も担っていたと思う。
そういった実験的な試みをしていた”MONA BAR”が、「脅迫」を理由に店を閉じたというニュースは、本当になおさら悲しい。
発展や、挑戦や、創造を妨げる人が現代にはたくさんいるという事実。
今まで国が法の規制でイノベーションを妨げることは多々あったが、このように個人が発展を妨げるというのは非常に悲しい。
「何かに挑戦している者を潰そうとする空気感」にとても問題がある。
そして、この問題は世の中、とくにSNSに蔓延しているように感じる。
日本の病気
いつからだろう、他人の不倫騒動に首をツッコんだり、平気で他人を傷付ける人が増えたのは。
自分が正義であれば、何をしても良いと勘違いする人が増えてきたように感じる。
そして、正義を盾に平気で人を傷付ける人間は、だいたい正義とは何か深く考えたことはないだろう。
マスメディアが人を殺すことは昔からあった。
今の時代では、SNSが人を殺す。
マスメディアという大きなものじゃなくても、個人個人が小さな悪意を振りまくことで、それが(自分たちの中での)正義であれば、平気で人を傷つけても良い、という空気を作り出し、やがて人を殺す。
個人が人を殺せる時代に突入したと思う。
その悪意は、人だけじゃなく、企業や、サービスに向くこともある。
この風潮は由々しき事態だと思う。
もともと「Twitter」は、思ったことをつぶやくツールなので、何を言ってもいいし自由である。
しかし、いつしか実社会では言えない鬱憤を吐き出すツールとして利用する人も出てきた。
それほどまでに、現代人は鬱憤が溜まっているということでもある。
これはもう病気だと思う。(それを根本的に治すツールをつくりたい)
批判も賞賛も、その根底にはきっと愛があると信じたい。
批判はもちろん貴重な意見だと思う。
批判家は自分が批判することで、改善され、良い方向に進むと信じている。
ただ、ほんの少しでいい。
ほんの少しでいいから、批判的なことを言う時は、相手の気持ちを考える「思いやり」を持って欲しい。
ちょっとした思いやりで世界が変わると思う。
人口減少で人手不足が進む日本で、あらゆるサービスを受けるときに「自分は客で、神様だ」といまだに誤解している人々は、今後時代に取り残されると思う。この世はみんなの仕事で出来ている。自分が何かを与えるから、何かを与えられている。持ちつ持たれつの関係で出来ている。その単純な仕組みに気づくと、あらゆることに敬意を持ち、「思いやり」を抱けるかもしれない。
追伸
MONA BARがどんな脅迫を受けたのか、なぜ脅迫を受けたのか、そのあたりの詳細はわかりません。
ただし、のっぴきならない事情があったのはたしかで、きっとそこには「闇」がある。
「闇」を生み出したのも、また空気かもしれない —